小塩江中はコロナウイルスに負けない!

カテゴリ:その他

シリーズ 小塩江中の夏休み2015 その11 -少年の主張-

7月31日(金)須賀川市文化センターにて少年の主張大会が開催されました。各校から代表者が集い、少年らしいみずみずしい感覚で捉えたできごとやそのできごとをとおして考えたこと、思ったことを発表しました。



本校の代表生徒は彼女(3年生 右ですよ。   左は、小塩江の音楽担当 ミズ ディーバ(歌姫)です。)






小塩江中は小規模校なので、一人一人がそれぞれ重要なポジションを担っているわけですが、彼女も例外ではありません。






彼女は、応援団の団長。






あいさーつ! 押忍っ!







そして、部活動では、ここ一番で力を発揮する強い心臓の持ち主。あの中体連では、彼女の活躍が劇的勝利をもたらしました。







そんな彼女夏が休みに挑戦したのが、「少年の主張」大会に向けての取組み。





彼女は、作文を書き、何度も遂行し、仕上げました。

そして、


主張として、書いたことが聞く人によく伝わるよう、何度も何度も練習。










前日、学校の体育館で直前練習を行い











最終調整。総指揮官をつとめる、巨匠からの最後のアドバイスは、「だいじょうぶだ!自信を持って本番のステージに立て!」でした。 










そして、いよいよ。



機は熟した!






順番を待つ間も、緊張している姿を全く見せない彼女。静かに、そして平然と自分の番を待つ。



明鏡止水・・・・。(でました!四文字熟語)




きみのその芯の強さが、中体連のあの激闘で発揮されたんですね。






そして、いよいよ発表する番に。



アナウンス「次は、小塩江中学校  3年 ○○ ○○さん  演題は「曾祖母への思い」です」






一礼をして少し間をあけ、そして、語り始まった彼女。





よどみなく、気持ちが伝わるようにと、これまで何度も何度も練習してきた彼女の語りは、聞く人にすっと入ってくるすてきな発表です。





ー発表全文-

「ばあちゃんなんて、大嫌い。」

 私の家には、九十二歳で認知症の曾祖母がいます。私は、小学校四年生までは、一緒に遊んでくれる曾祖母が大好きでした。でも、いつしか嫌いになりました。

 ある時、認知症の曾祖母は、自分が薬を飲んだことを忘れて「薬がない。誰か盗んだろ。」と言って、家族を疑い始めました。またある時は、家の金魚が死んでいるのを見て、家族と「ずいぶん早く死んじゃったね。」と話していると、「何、今早く死ねって言っただろ。」と言ったり、私に「お前なんかひ孫じゃない。お前になんて世話にならなくていい。」と言ったりしました。こういうことが日に日に増えていき、私はだんだん曾祖母が嫌いになっていきました。私は、「何でばあちゃんがいるの。ばあちゃんなんかいなくなれば良いのに。」と思っていました。

 ある日、私が学校から帰ると、家族がそろって何か相談をしていました。もう家族での介護が限界を超え、デイサービスに出そうということでした。私はその時、「どうして曾祖母のためにお金を使わなくてはいけないの?私は嫌いなのに……。」と思いました。でも、家族の負担を減らすためには、そうするしかなかったのです。曾祖母は、毎週二回、デイサービスに通うことになりました。曾祖母が出かけるとき、私は、もう戻ってこなかったら良いのにと思うことが度々ありました。でも、曾祖母が家にいないと何だか寂しいと思う気持ちもあって、そう思う自分が嫌でした。

 ある日、私が学校から帰ると、祖父に呼ばれました。「ばあちゃんが嫌なのは分かるけど、ばあちゃんの言うことを聞いてあげて」と言われました。私はつい、「何で私が言うことを聞かなくちゃいけないの?」と言ってしまいました。すると祖父は私が幼い頃の話を始めました。

 「ばあちゃんは、お前が小さい頃、父ちゃんも母ちゃんも仕事で忙しくて、面倒をあまり見られないから、かわりにお前の面倒を見てくれていたんだよ。」と教えてくれました。その時、小学校の時、曾祖母と一緒に遊んだ思い出がよみがえりました。一緒にトランプをしたこと、カルタでピラミッドを作ったこと、家にあった木材でドミノ倒しをしたこと、ボール遊びをしたこと……。曾祖母と遊んで楽しかったことが次々と浮かんで自然と優しい気持ちになりました。それからは曾祖母の話を無視しないで聞くようにしました。

 ある時、曾祖母に呼ばれました。「○○、ペットボトルに水を汲んできてもらえないかい?」私は面倒くさいと思いましたが、水を汲んで曾祖母に手渡しました。すると曾祖母は「ありがとう。○○は優しいね。」と言ってくれました。私は少し照れくさかったけれど、嬉しい気持ちで一杯になりました。

 私は今、後悔しています。曾祖母に小さい頃一番面倒を見てもらったのに、無視していたからです。自分がやられたとしたら、一番嫌なことを曾祖母にしていたのです。認知症は、家族だけでなく多くの人に迷惑をかけます。でも、好きで病気になる人はいません。確かに曾祖母は家族に迷惑をかけていますが、一生懸命生きていると思います。私は、幼い時に面倒を見てくれた優しい曾祖母のために、精一杯優しく接していきたいと思います。また、私は、曾祖母のおかげで、将来、介護福祉士という職業に就きたいと考えるようになりました。お年寄りを相手にすることは、簡単な仕事だとは思いません。同じ接し方をしても、それを嬉しいと思う人、嫌だと思う人、受け取り方が違って悩むことがあるかもしれません。しかし、お年寄り一人一人の気持ちを理解して、寄り添っていける、そして、認知症などのお年寄りを抱えて困っている家族の支えになれるような介護福祉士になりたいと思います。







主張発表が終わりました。




拍手!拍手!拍手!


きっと、クラシックのコンサートを彼女の発表だとすると「ブラボー!」とか観客から声がかかったと思います。



本当にすてきな発表でした。









さて、結果の発表。




アナウンス 「優秀賞  小塩江中学校  ○○ ○○さん。」と告げられ、彼女はステージ中央に。




彼女は、2番目の賞に相当する「優秀賞」を受賞したのです。






彼女の主張は、そのすばらしさが認められ、県大会に駒を進めることになりました。
何度も書き直し、何度も発表の練習をした、この夏休み。大変だったけど、ちゃんと結果がついてきた。がんばったからこそ、ついてきた結果です。




この結果に、学校でも職員全員が大喜び。学校にとってもほんとうにうれしい夏休みのできごとになりました。




受賞を記念して、写真撮影(^O^)


























外でも撮っちゃえ!笑






彼女の夏休みの挑戦に、大きな拍手を送ります。よくがんばりました。優秀賞 おめでとう。












PS。彼女の頑張りの陰に、支えあり。


支え続けたのは、小塩江の巨匠、  あれ? 太公望?  動かざること山のごとしのこの方



グレートティーチャー教頭先生 です。


  

職員室での練習風景 彼女の発表とそれをだまって聞く、グレートティーチャーの図


うごかざること山のごとし・・・。