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こんなことがありました! 出来事
東日本大震災の日集会
2025年3月11日 13時04分 あれから14年がたちました。私達があらがうことのできない巨大な力の存在を知った日から、そして私たち人間が制御できない化け物を作ってしまったことに気付いた日から…。(近未来を描いた映画等に登場する空想上の大怪獣やサイボーグなどの類の正体は原発だったのか、とさえ思えた日でした)
校長からは、先日起きた岩手県大船渡市の山林火災の被害の様子、そして同じ場所で14年前に起きた震災と津波の被害の様子を紹介しました。大森小学区で起こり得る災害は地震による「建物倒壊」と地震または風水害による「土砂崩れ」の二つと考えていましたが、今回の大船渡市でのことで、我々は山林火災にも備えなくてはならないと強く感じました。
3月11日(火)のNHK朝のニュースで震災当時、東北地方整備局長だった徳山日出男さんの話を伝えていました。
備えていただけでは、十分ではなかった。あのときの機転だけでできたことなんて、一つもなかったんですよ。備えていたことしか役には立たなかった。災害が起きる前にどれだけ準備できていたか、というのが非常に大きかったんです。 ※ 記事をご覧になりたい方は以下のURLをタップするとご覧いただけます。 https://www3.nhk.or.jp/news/special/saigai/select-news/20210305_01.html |
未曽有の大災害を経験した私達は、もう「想定外だった」という言葉を使ってはいけないのだと感じました。私達は、次の時代を担う子ども達に災害の恐ろしさと備えの大切さを伝えていく義務があるのです。
震災を経験していない子どもたちですが、代表の6年生が作文を発表しました。
3・11と私 私は、東日本大震災を経験していない。けれど、テレビの番組を見て、震災があったことを知った。須賀川市は、震度6強。私が、体験したことがない地震だったと分かった。お母さんに話を聞くと、とてもこわかったと言っていた。地震が終わっても安心はできなかった。地震が少し落ち着いたころ、原子炉建屋が爆発した。放射線が空気中にばらまかれ、その近くが汚染され、避難しなくてはならなくなった。今も、遠くに避難したまま、福島に帰ってこられない人がたくさんいる。しかし、大森地区はそういうことはなく、安心して、自分の家に住むことができている。けれど、地震はいつ起こるかわからないから、安心はできない。 私は東日本大震災みたいな大きな地震に備えてリュックに水や食べ物を入れて、備えたい。また、大きな地震が来たときには、大人の指示に従って行動したいと思う。 私はこれからも3・11の出来事から学んだことを忘れずに生きていきたい。 |
ところで、みなさんのお宅も非常時の水や食料を準備されていることと思いますが、我が家の非常食の一つをご紹介します。「アキモトのパンのかんづめ」です。おいしいのはもちろんですが、すばらしいのは「賞味期限が切れる前のパンの缶詰を回収し、海外へ送り支援する」という「救缶鳥プロジェクト」に取り組んでいるところです。興味がある方は以下のURLをタップするとご覧いただけます。
https://www.panakimoto.com/products_kyucancho/