小塩江中はコロナウイルスに負けない!

語ってもいいですかな?(給食の歴史 編)

我々(教頭先生と私の2人)一人暮らしの人間にとって、まさに生命線ともいえる「給食」。
これがなくては命が危ないくらいありがたき、ありがたきものです。




1月24日~1月30日は全国学校給食週間ということで、養護担当が「給食の歴史」と「その日の給食ができるまで」をまとめ、掲示しました。




「給食 命(いろんな意味で)の私にとっては大事なことです。











語ってもいいですかな?
















日本で最初の給食は1889年、大日本帝国憲法ができた年に山形県 鶴岡市の小学校で始まりました。
山形県の皆様、ありがとうございます。



その時の献立はお坊さんが提供してくれた 「おにぎり、焼き魚、お漬物」だったそうです。↓


焼き魚は鮭(さけ?しゃけ?)でしょうか。 サカナおいしそうです。










ところが戦争で給食は一時中断。
終戦後の昭和21年(1946年)に救援物資を受けて給食が再開されました。


全国に給食が広まったのは今から63年前の昭和27年(1952年)のこと。

栄養バランスだけでなく、食事の作法や望ましい食習慣を身につけることも目的とされたそうです。今の給食の形のルーツになっています。








その後時代は流れ、それまで脱脂粉乳だったのが昭和45年(1964年)にはビン牛乳に変わり、献立はどんどん豪華なものになっていったそうです。
あまり関係ないのですがお風呂上がりのビン牛乳はどうしてあんなにおいしいのでしょうか。

昭和22年(一番左上)は、おにぎり、鮭、お漬物

                 あれから40年。

昭和62年(一番右下)は、麦ごはん、牛乳、巻き蒸し、高野豆腐のあえもの、せんキャベツ

文字数だけでもメニューが増えているのがわかります。











しかし小塩江中学校では平成9年までお弁当給食。
今、思えば私も中学校時代はお弁当でした。保温弁当おいしかったです。
(でも味噌汁エリアにうどんがあったときは衝撃的。予告が欲しかった。)

現在の校舎が完成したと同時に給食が始まりました。
当時の保護者の皆様の負担も大きかったのではないかと思います。
tここだけの話ですが、寝るとき布団の中で「ありがとう」とつぶやいたのはいい思い出です。直接言えばよかったのですが反抗期とはなかなか厄介なものでして。)





ということです。給食に限らず、お父さんお母さんがご飯、洗濯、お風呂を準備してくれるのは一人暮らしの私からするとうらやましい限りです。 
リンゴの皮もむいてもらえるので。


生徒のみなさん、たまには直接「ありがとう」と言ってみてはどうでしょうか?
(ちょっと照れくさいですけどね///)