歌い継ぐ 希望のうた ー大黒摩季さん、NAOTOさんとともに希望のうた交流会ー
東日本大震災から間もなく13年がたとうとしています。
節目となる日が近づいているこの日、本校に日本を代表するビッグなアーティストが来校。子どもたちとふれあう機会を持ちました。
来校したのは、シンガーソングライター、大黒摩季さん、そして、バイオリニスト、NAOTOさんです。
二人は一小にとって大事な歌、「希望のうた カワセミのように~」の作曲をNAOTOさんが、作詞を大黒さんがしてしていて、折にふれ学校を訪れ、子どもと交流の機会を持ってくれています。
子どもたちの待つ体育館。子どもたちが拍手で大黒さんとNAOTOさんを迎えます。
希望のうた誕生の経緯は校長が話しました。
《校長の話》
第一小学校は、13年前の2011年3月11日の東日本大震災の折、校舎、体育館、校庭すべてが使えなくなりました。その後、第一小学校の子どもを二つに分け、第二小学校と第一中学校の校舎の一部を借りて授業を行ったり、並木町のグランドにプレハブ校舎を建てそこで勉強したりと、現在の校舎ができ、戻ってくるまで相当な年月がかかり、大変だった時期があります。
先が見えずに、当時の子どもたちも先生方も、そして家族や地域の方も絶望的な気持ちで、毎日を過ごしていましたが、第一小学校の大変さを知り、歌で力づけてあげたいとNAOTOさん、大黒摩季さん、そして柏木広樹さん、啼鵬さんが「希望のうた ~カワセミのように~」をつくり、第一小学校に応援歌としてプレゼントしてくれました。
この歌をつくるのに、NAOTOさんも大黒さんも校舎が壊れて誰もいなくなってしまっている第一小学校を訪れたり、第一中学校や第二小学校で過ごしている第一小学校の子どもたちの様子を遠くから見届けたり、当時の一小の子どもからどんな歌にしてほしいか聞き取ったりしながら心を込めて歌を作ってくれました。
歌がプレゼントとして届いたのは、地震があった日から9ヶ月後の12月でした。子どもや先生方はとても喜び、全校生で練習を繰り返しました。
歌が届いてから初めての卒業式は、第一小学校の体育館も地震で壊れ使えなかったため、市の文化センターで行いましたが、それは、はじめて「希望のうた」を世の中にお披露目する機会でもありました。
歌詞には「ぼくらの未来はぼくらが変えるんだ」とあります。子どもたちは泣きながらこの歌を歌い、それでも前を向いて学び舎を後にしていきました。
以来、この歌は第一小学校の校歌と同様に、大切な歌としてずっと歌い継がれ、今に至っています。
去年、多くの方の理解と協力を得て、昇降口前に「希望のうた」の歌碑が完成しました。そして、NAOTOさん、啼鵬さん、来賓の方々の臨席の中、除幕式を開催しました。2年生以上の人は覚えている人もいるかと思います。
二人を歓迎して代表の児童があいさつ。
《あいさつ文》
希望の歌を作ってくださった大黒さん、NAOTOさん、今日はようこそ第一小学校へおいでくださいました。わたしたちは希望のうたが大好きです。第一小学校では毎年10月に桜水発表会という学習したことを家族や地域の方々に見ていただく行事があります。その中でわたしたちは「希望のうた」を歌やリコーダーで演奏しました。私は「信じていこう もう一度夢を見よう 願いの力で扉を開けよう」という歌詞が気に入っています。それは、自分を信じて目標に向かってがんばることです。夢や願いは叶うと思えるからです。わたしたち6年生はもうすぐ卒業です。卒業式の最後の退場曲にわたしたちは「希望のうた」を選びました。大好きな曲につつまれて第一小学校を巣立ちます。わたしたちが卒業してもこの歌は変わらず歌い継がれていきます。あらためてステキな曲を作ってくださりありがとうございます。
そして・・・本校の凄腕ピアニスト(職員)の伴奏、NAOTOさんのバイオリン、大黒さんの歌という豪華すぎるメンバーと子どもたちがともに歌う「希望のうた」!
体育館いっぱいに、優しさで包み込まれます。
大黒摩季さん、NAOTOさんそれぞれに話がありました。
NAOTOさんの話
地震のこと、第一小学校のことは、お父さん、お母さん、地域のみなさんから聞いて知っているかと思います。今こんなに新しいステキな校舎になりましたが、これはいろいろな人の思いがあってこんなにステキな校舎になったんですよね。毎年毎年、6年生が卒業し、1年生が入学して入学してくるのでリレーのように大切に使ってほしいなと思います。その中で、共通項の一つとして曲をかくきっかけをもらえたのはとてもうれしかったことです。みなさんは一年に何回ぐらいこの歌を歌いますか?ぼくは、この曲を作りましたが、歌っている回数はぼくなんかよりはるかに多いと思います。そういう意味では、この曲はすでに皆さんの曲になっていると思います。そういう曲を書かせてもらい本当にうれしいです。これからも大事にかわいがってあげてください。
大黒摩季さんの話
今日は、皆さんと一緒に「希望のうた」を歌えてとっても感動しています。私は小さいころから歌を歌うことが大すきでした。例えば友だちとけんかをしても(授業などでは)一緒に同じ歌をうたをうたいます。そうするとみんな同じ気持ちになれるます。私は歌に救われて、歌が友だちをたくさん作ってくれました。一緒に歌うとどんどん友だちが増えていきました。だから歌で生きていきたいと思いました。この歌の歌詞は地震にあって困ってしまっている第一小学校の様子をNAOTOさんがみて、みんなが大変な思いをしているから何とかしてほしいという願いに応えてできた歌です。今、同じ思いを能登半島の人たちが同じ苦しい思いをしています。皆さんも大変さを乗り越えてきて今があるので、今度は能登半島の人たちを応援してあげてください。希望のうたは友だちが苦しくなったり困っていたり一人ぼっちになったりしているときにその友だちと一緒に歌ってあげてください。そうすれば、きっと友だちは笑顔になれます。大切に歌い続けてくださいね。
話をもらった後、代表の児童から花束のプレゼント。
一緒に記念写真も撮りました。
最後は、全校生で記念写真。
大黒摩季さんとNAOTOさんがどこにいるか分かりますか?
ここにいます。
こうして、希望のうた交流会は終わりました。
最後の退場は、子どもたちも別れを惜しみ拍手が鳴り止みませんでした。
帰り際、希望のうたの歌碑の前で。
「震災の前のような桜並木にもどれ」と願って植樹した校舎新築当時の際、植樹した桜の写真に希望のうたの歌詞を添えたパネルにサインもいただきました。今後、「希望のうた」の作者でもあるあと二人、柏木広樹さん、啼鵬さんが来校したときサインを入れtもらってパネルは完成します。
今回の様子は、テレビ、新聞等メディアで多くとりあげられましたので、ぜひごらんください。
きっとまた学校に来てくれるはずです。
そのときまで、第一小学校は子どもたちが、希望の歌を歌い継いでいきます。
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