小塩江中はコロナウイルスに負けない!

2015年1月の記事一覧

語ってもいいですかな?3(給食週間 -昭和50年代の給食 編)

1月24日~1月30日は「学校給食週間」です。
  


実際にところ、今年は24日が土曜日、25日は日曜日ということで、少し早めの給食週間に突入!


<今日のメニュー>

食パン  牛乳  開花煮  チーズかまぼこ 蜂蜜&マーガリン




きょうのコンセプトは昭和50年代のメニュー!

あら(^^)!   チーズかまぼこ  ひさしぶり。



子どもは、チーズかまぼこには驚いたらしく、珍しそうに食べていました・・・。





そのころ、職員室では・・・

昭和50年代、まだ学生で給食を食べていた、食通で美食家のあの職員も






すてきな毎日を過ごした幼少期だった当時を懐かしみながら


しんみり。。。





















さて、投稿者も昭和50年代というとまだ小学生・中学生。





そこで  編集長、読者の皆様





投稿者も 思い出を




語ってもいいですかな?







今日は昭和50年代のメニューということで


あのころは、まだ米飯給食がなく、パンが毎日のように出ていました。

時々出る砂糖をまぶした「揚げパン」と袋に入った「ソフトめん」がなによりの楽しみでした。

コッペパンの時はマーガリンが多く、寒い日はビニール袋の中でマーガリンが固まっていて・・・。

熱いお汁の器の下においたり、手でよくもんで柔らかくしてから食べるのが 当時の正式なやりかた。(ほんとかな。。。)



牛乳!

まだ瓶の時代で、運搬するのがつらくて重いので当番の時、牛乳の運搬係は大変でした。

(今は、紙パックになって本当に楽になりました。・・・そういえば、運搬車的なものはなく、教室までの運び入れと、給食室まで戻すのは、すべて人力でした。)


チーズかまぼこも定番メニューで、一口で一気に口に詰め込むのが男子の間で流行っていました。



それにしても、今日の意表をついた開花煮



「先生 開花煮って何ですか?(@_@)」


と、生徒が質問。。。。



これは、記憶になかった・・・・。なにか「すき焼き煮」的なものはあったけれど・・・。



そこで、ちょっと ググってみました。


すると


開花煮・・・文明開化の折、外国から入ってきたタマネギを、豚肉など鶏肉以外の肉と煮こんだ料理


とのこと。




いや、生徒の皆さん、学ぶ機会をいただきました。


ありがとうございます。













雑誌に掲載 新体育館。

雪交じりの冷たい雨が時折降る中、今日も新体育館工事が行なわれています。


関係の皆様には本当に感謝しております。




つい数日前に屋根の工事に着手したところですが・・・・






それが、今日は!



なんということでしょう





ほぼ半分近くまで、屋根の骨組みが完成しています。


すごいですね。



ところで・・・


小塩江中学校のこの体育館建設に係る記事が、建築専門雑誌「建築技術12月号」に掲載されました。




(ごめんなさい)
建築関係に詳しくない投稿者には、ちょっと難しい、建築業界向けの雑誌ですが、すごいことだということはわかります。


最先端の技術を持って作ってくださっている小塩江中新体育館。


旗りゅう文字で「小塩江未来アリーナ」とかかげることにしています。


完成が楽しみです。(^O^)

語ってもいいですかな?(給食の歴史 編)

我々(教頭先生と私の2人)一人暮らしの人間にとって、まさに生命線ともいえる「給食」。
これがなくては命が危ないくらいありがたき、ありがたきものです。




1月24日~1月30日は全国学校給食週間ということで、養護担当が「給食の歴史」と「その日の給食ができるまで」をまとめ、掲示しました。




「給食 命(いろんな意味で)の私にとっては大事なことです。











語ってもいいですかな?
















日本で最初の給食は1889年、大日本帝国憲法ができた年に山形県 鶴岡市の小学校で始まりました。
山形県の皆様、ありがとうございます。



その時の献立はお坊さんが提供してくれた 「おにぎり、焼き魚、お漬物」だったそうです。↓


焼き魚は鮭(さけ?しゃけ?)でしょうか。 サカナおいしそうです。










ところが戦争で給食は一時中断。
終戦後の昭和21年(1946年)に救援物資を受けて給食が再開されました。


全国に給食が広まったのは今から63年前の昭和27年(1952年)のこと。

栄養バランスだけでなく、食事の作法や望ましい食習慣を身につけることも目的とされたそうです。今の給食の形のルーツになっています。








その後時代は流れ、それまで脱脂粉乳だったのが昭和45年(1964年)にはビン牛乳に変わり、献立はどんどん豪華なものになっていったそうです。
あまり関係ないのですがお風呂上がりのビン牛乳はどうしてあんなにおいしいのでしょうか。

昭和22年(一番左上)は、おにぎり、鮭、お漬物

                 あれから40年。

昭和62年(一番右下)は、麦ごはん、牛乳、巻き蒸し、高野豆腐のあえもの、せんキャベツ

文字数だけでもメニューが増えているのがわかります。











しかし小塩江中学校では平成9年までお弁当給食。
今、思えば私も中学校時代はお弁当でした。保温弁当おいしかったです。
(でも味噌汁エリアにうどんがあったときは衝撃的。予告が欲しかった。)

現在の校舎が完成したと同時に給食が始まりました。
当時の保護者の皆様の負担も大きかったのではないかと思います。
tここだけの話ですが、寝るとき布団の中で「ありがとう」とつぶやいたのはいい思い出です。直接言えばよかったのですが反抗期とはなかなか厄介なものでして。)





ということです。給食に限らず、お父さんお母さんがご飯、洗濯、お風呂を準備してくれるのは一人暮らしの私からするとうらやましい限りです。 
リンゴの皮もむいてもらえるので。


生徒のみなさん、たまには直接「ありがとう」と言ってみてはどうでしょうか?
(ちょっと照れくさいですけどね///)

語ってもいいですかな?2 (その日の給食ができるまで 編)

我々(私だけ)その日暮らしの人間にとって、まさに生命線ともいえる「給食」。
これがなくては命が危ないくらいありがたき、ありがたきものです。







先ほどの記事では給食のルーツを過去から現在への流れとして語らせていただきました。






今回はさらに現在に近い「その日の給食ができるまで」について、













語ってもいいですかな?


















一日の給食ができるまでの手順をまとめるとこんな感じです。というかこんなにあります。

少しずつご紹介します。









これは先々週の給食の献立です。


個人的には鮭(さけ?しゃけ?)の塩焼き、美味でした。サカナおいしいです。











給食を作るにあたってまず必要なのは「材料」。




















の前に・・・・・・













清掃です。
私も確かに自炊前に清掃します。昨日使ったお皿を洗う清掃です。これを清掃と呼ぶかどうかはこの際考えないことにします。

食への情熱が違います。すごいですね・・・。











その後、材料が届きます。


他にもたくさんの業者さんが雨にも負けず、風にも負けずお届けしてくれます。
本当にありがたいことです。







そのあと、少しだけ食材を放射線量測定用に分けて、いよいよ調理にかかります。

一人暮らしの感覚からすると、この量はすさまじいですね。

そしてその分、皮むきも切ることも分けることも運ぶことも大変なのでしょう。
これを給食員さん2人で行っているわけです。






1年生よ!
リンゴの皮むきで時間がかかっては給食は作れないぞ!?
(営〇担当にはもっと無理でしょう。)















そのあとプロの技が発動。


生徒諸君!ごぼうをささがきにすることができるか!?
(私がスーパーで買う野菜は基本すでに切ってあるものだ!ごぼうそのものは買ったことすらないぞ!)















生徒諸君!塩分ひかえめで鮭を焼くことができるか!?
(私の家で一番きれいな場所はグリルだ!使ったことがないぞ!)














生徒諸君!白玉を表面に浮かせることができるか!?
(私は大体、小麦粉系は鍋底にこびりついて終了だ!というかうどんしか茹でないぞ!)

他にもいろいろなプロの技があるそうです。
もしかしたら社会担当教員ならできるかも?私には到底無理です。











同時に行われている放射性物質検査についてご紹介します。

説明文の通り、美人検査員の長崎さんが毎日「ガンマ線スペクトロメーター」という装置を用いて放射性物質検査をしています。
















「ガンマ線スペクトロメーター」とは、放射性核種のガンマ線がそれぞれ固有・・・




(中略)







です。わかっていただけたでしょうか?

生徒の皆さんが給食を食べるまでに放射線量が高すぎないかを調査し、報告しています。
責任重大なお仕事です。



皆さんが授業を受けている間にいろいろな方がおいしく、安全な給食をめざしていろいろなことを行っています。
















そしてもう一人、安全な給食のために体を張っている方がいます。




















校長先生です。 ↓



生徒の皆さんが安心して給食を食べれるよう、ちょっと早めに校長先生が検食し、さらに給食の安全性を保証しています。


















ご覧ください。↓ 非常に大変なお仕事であることが写真の表情からわかると思います。










そして最後の仕上げ、皆さんが運ぶ台車に乗せます。



そして待ちに待った4時間目終了のチャイムと同時に当番さんが準備をし、給食をいただきます。






ここまで読んでくださった方、わかっていただけるでしょうか。
文章を打ち込んだり写真を入れたりで軽く1時間はかかっています。





HPは1時間でできますが、実際の給食は午前中まるっと使います。

それだけ「給食を食べられる」というのはありがたいことでございます。












さて、食べ終わって台車で片づけた後です。










給食室では午後の部が始まります。



ここで計算です。
先生方を含め小塩江中には約60人。ごはんの器、汁わん、おかずの皿+おはし+おぼん。1人当たり5つの洗い物。




単純計算で
60×5=300個の洗い物。
さらにご飯が入っていたケース、おつゆのでっかい容器など込みの洗い物。
それを調理員さん2人で行います。










みなさん調理実習を思い出してください。どうでしょう、300個のものを洗うということ。
これを書いている私も「えぇ・・・。」と思っています。











最後に明日の給食のために清掃をして終了!




ということが5、6時間目に行われています。


もちろん授業も大変でしょう。ですから、調理員さんに負けないよう、そしておいしく食べられるよう頑張って勉強しましょう!

空腹は最高の調味料である。ってね








最後に・・・


毎日の給食、ありがとうございます!
(給食がなかったら私は今ごろ、栄養失調でした。)

1年生 リンゴ皮むきテスト 調理編

前回さらっとむいたリンゴ。そのまま丸かぶりでもよかったのでしょうが、せっかくなので料理に。





今回のメニューはこちら ↓



リンゴジャムだそうです。
とある辞書によると「ジャム」とは




果実や果汁に含まれているペクチンに糖酸が作用して、

(中略)

果皮が含まれているものは特にマーマレード: marmalade) という。

非常に甘いため、そのまま食べることは少なくパンやクラッカーなどに塗って食べるのが一般的である。その他、サンドイッチのの具としたり (以下略)



ということでジャムを今回作ります。意外と難しいらしいです。










まず、皮をむいたリンゴをすりおろします。





 
                          

                          

                           ↓


すりおろせたようです。
(※もちろん本人は使い方を知っています。)






それを鍋にうつし、レモン汁と砂糖を加えて煮詰めます。





そして完成したのがこちら ↓



これはおいしそう!

非常に甘いため、そのまま食べることは少なくパンやクラッカーなどに塗って食べるのが一般的。
ということでフランスパンを添えて。

ちょうどティータイムの5,6時間目に行ったため、なおさら美味だったそうです。



うまい!


うまい!!!

うまい!!!!!!!!


先生方にも大好評!!





















そんな中。





















たまたま席を外していた、とある教員の机でニヤニヤしている3人。












戻ってきた教員の机には。


















!?













「・・・これ、なんですか?」




という質問に対し。




「ジャムだよ。」












そうなんですけど・・・。










「たくさん愛を込めたからたくさん食べてほしい(はぁと)、って言ってたよ」




確かに付箋にもそう書いてありますね。






非常に甘いため、そのまま食べることは少ないリンゴジャムをそのまま食べ、愛を感じた教員はとても幸せそうに涙を流して食べたそうです。




めでたしめでたし。